HOMEの中のおすすめShopの中の伝えるの中の大川の歴史

観光スポット

公開日
2011年04月01日

 福岡県と佐賀県の県境に位置する大川市は、九州最大の一級河川「筑後川」の左岸に位置し、人々は筑後川とともに時を刻んできました。その歴史は、大川木工の歴史といっても過言ではないほど、木と深く関わっています。

 古くより、筑後川の河口に位置する大川は、筑後川上流の木材の産地・日田より川を下ってくる材木の集積地として発展しました。その中心が大川家具の発祥の地と言われている「榎津(えのきづ)」です。この地名は、室町時代、船大工の技術を生かして榎津指物を始めたと伝わる「木工の祖 榎津久米之介」に由来するとも言われています。

 榎津地区と小保地区は、古くから肥前の交通の要所として発展してきました。戦国時代、豊臣秀吉の九州平定に際して、その功を認められた立花宗茂が筑後一帯を与えられますが、1600年関ヶ原の戦いで石田三成を中心とした西軍にくみしたため、わずか13年で改易。変わって筑後一国を治めたのが田中吉政です。
 1620年、田中家が断絶すると筑後は旧柳河藩、旧久留米藩に領域が分かれ、現在の大川市が2つの藩に分かれて統治されることになります。

 その藩境が榎津地区と小保地区になります。江戸時代初期には、肥前への水運の要所として、肥後街道沿いに位置する榎津地区に旧久留米藩の港町、隣接する小保地区に旧柳河藩の宿場町を設けました。2つの藩によって形成された町は全国でも非常に珍しく、歴史的価値の高い地区になっています。街道沿いには、旧柳河藩別当職を務めた吉原家の居宅や武家屋敷などが江戸期のまま現存しているほか、大小の寺社が点在し宿場町の面影を残しています。

 この江戸情緒あふれる通りをボランティアガイドとめぐるコースが好評です。毎年4月には「藩境まつり(旧名:肥後街道宿場を歩く)」、10月には「街角ほっとコンサート」が開催され、多くの観光客で賑わいます。

 江戸時代後期の田ノ上嘉作など数々の名工が大川木工の礎を築くと、明治時代以降には技術の分業化が進みました。当時、住人の4分の1が木工業に従事し、大川独特のデザインや機能を持った榎津箪笥が誕生しました。第2次世界大戦が終わると、手作業から機械作業へと移行し、一大産業として成長してきました。

 大川の名を一躍高めたのは、河内諒デザインの「引き手なし箪笥」です。1955年大阪で開かれた西日本物産展での和箪笥が、最高賞を受賞。洗練されたデザインで日本中の人気を集めました。これをきっかけに各地より注文が相次ぎ、全国的に販路を拡大していきました。

 現在では、伝統を受け継ぎながら現代のライフスタイルに合った商品開発に取り組んでいます。そのひとつが、大川の異業種の職人やデザイナーとコラボレーションして誕生したオリジナルブランド「SAJICA(サジカ)」です。
 このほか、加齢により身体機能の変化に対応し、自立をサポートする福祉家具の開発など、人に、環境に優しい快適なインテリア空間の創造に取り組んでいます。

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